なるほど〜と思ったのでリンクします。

いわゆるスピリチュアル系というものですが、

http://mizu888.at.webry.info/201308/article_72.html

面白かったです。。

霊が電気である、と私も気づいて来てたので、
やっぱりかと思いました。人間自身も肉体はあっても、
脳から出てるのもやっぱり電気だし、電気自体に感触が
あるのも段々と分かってきました。
(痛みも重たさも、手触りさえも電気から出来ているみたいです)

霊的な話と、電気や化学っぽい事がリンクし始めてるなぁと
思いました。愛がエネルギーだというのも、去年の2月くらいに
気付いて色々な囚われに対する考え方が変わるきっかけに
なりました。

エネルギーだと考えると、かなり単純な感じになる気がします。<引用>-------------------------------------


私達の多次元意識は恐怖によって遮断され、
無条件の愛によって起動します。
無条件の愛はいかなる判断も下すことはありません。

判断というのは意識を下げてしまう思考の形の主たるものです。
判断というのは思考の形です。
どこまでも恐怖に基づいている感情に思考が加わったものです。
私達が何かを判断する時、そこには恐怖の残留物が潜んでいます。
たとえ無意識の中に潜んでいようと、恐怖があるのです。


私達の脳を司るマインド、つまり意識状態は、生存/恐怖か、
創造/愛のどちらかの方向性を持っています。


このゲームをログ・アウトする唯一の方法、
それは私達自身を無条件に愛すること。
自分を無条件に愛する方法を思い出しさえすれば、
外の情報源の意見は3Dゲームの一部でしかなく、
私達はもう3Dから解放されています。


3Dホログラムでプレイする間は私達の無意識は無条件の愛を
常に必要としていることをいつも認識しておかねばなりません。
言い換えると、3Dの器のマスターであり続けるためには、
自分自身にいつも無条件の愛という燃料を注ぎ続けることが
不可欠なのです。

無条件に自分自身を愛すれば、私達は一瞬にして3Dゲームから
解放されます。

このゲームの中毒性は、私達が十分に良い人間ではないという
考えを利用していますから。

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このサイト↓も、近い内容だと思います。

http://www1.ttcn.ne.jp/turu/sub3.htm

http://www1.ttcn.ne.jp/turu/2jinseihageimudearu.htm




エスが来た時にやった事は、やはり二元論からの解放だったと
思います。
裁きの基準になるものを打ち壊す為に、不正や間違いを認めた人が
(罪に気付いた人が)愛によって無条件に救われるというのは、
当時の社会も今と同じく(?)二元論にがんじがらめになってたの
だと思います。

愛と自由を与えに来たのに、キリスト教、(特にカトリック?)は長い間
縛る為の教えを随分与えてきたのだなぁと思いました。
私は残念な親の世代がその教えを信じきって、自分も人も裁いて生きてる
ように見えます。

多分嘘の部分が段々と明らかになって、その呪いは解けていくと
思います。



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