去年2月のメモより
自分の歴史を祈るという箇所で過去を振り返っていた
時のメモです。気づいて良かったよ。
今でも体に染み込んだ苦しみは残ってると思うけど、
理解出来るかどうかはとても大きな違いだと思うので、
参考になればと思い書いておきます。
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「自分の歴史を祈る」
過去の記憶はどこを見ても、良い出来事を見ようとしても、
怯え、恐れ、怒り、空しさによって、喜びもそのまま出せなかった。
ありのままでいようとすると全て怒鳴られ潰されていた。
どうしても苦しみと悲しみにしかならない。
神がそうしたんだから全て責任をとって下さる。
おばさん(ここではそう表記します)側の考えに立って、
行動パターンを見る。
・子供ギライ
・やかましい
・だまらせる
・食わせてやっている
・生まれたもんはしゃーない
・ネクラは嫌い
相手のために叱ってる要素がゼロだった。
急に涙が止まった。(あまりに苦しくて泣いてました)
人間として見ると悲劇だが、畜生として見れば、
当たり前の事だと思った。
本当にここには何も期待しなくて良い。
愛がなかった事がはっきりと分かった。
与えられたはず、と思うと心が潰れてしまう。
しかし、その可能性がゼロだったと分かったら
全く悲しくなくなった。
受けて来た暴言と暴力の分、
苦しみと怒り、憤りがあったのは事実なので、
私が絶望するのは当然だと思う。
心があることさえ知らず、認めなかったので
何も(暴言暴力への謝罪を)求める必要さえない。
その能力がない。
アパルトヘイトの記事を読んで、
(南アフリカ独立の為に尽力した聖公会の黒人の司教様の本
にあった、白人のやってる事が凄いアカンかった。)
エゴのエネルギーの種類が似ていると感じた。
相手はどうでもいい。
謎が解けた気がした。
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