難しかったけど面白かったです。

↓の本をやっと読んだのですが、
http://officemiki.com/books/132/gangaji_II

内容が濃すぎて消化しきれていません。。

前半の内容が未知の領域なので読み進めるのも難しい感じでした。
言葉を使って説明してくれてはいるのですが、体験しないと理解など
出来ない、という感じです・・。
興味ある方は本で是非読んでみて下さい。

大事だと思う所を自分で見返す為に時々メモしてるのですが、
内容がそうだな〜、と思う所が沢山あり、シェアしたいけれど
省略する事も出来ず、ずいぶん長くなってしまいました。
結構辛辣なこと書いてました。



ーーーーーーーーーーーーーーーー
P.146  意識が作る苦しみ、自分の物語

意識の中で生まれるどんな感情も、意識によって完全に対峙することができます。物語や分析
に身を隠す必要はありません。理性の働きには従わず、ただじっとして湧き上がる感情のすべ
てを完全に経験するという意思があなたにあれば、あなたにはそうした感情は存在しないこと
がわかるはずです。

感情とはただ思考によってのみつなぎ合わされています。その思考が意識的でも、無意識でも
です。

あなたには、ただ立ち止まって、「恐れ、怒り、悲しみ、絶望―――みんないらっしゃい」
と言う力があります。あなたは本気で「いらっしゃい」と言い、そしてあなたの心が本当に
開かれていたならば、感情は湧き上がることはできません。


なぜならその瞬間、あなたはそれについて何の物語も語ってはいないからです。自分で試して
ごらんなさい。恐れ、怒り、悲しみ、そして絶望は、物語とつながっていなければ存在できな
いのです! そう、これは、驚異的な、シンプルだけれど深遠な発見です。それはとてつもな
く大きな発見です! 

あなたは、あなたがそこから逃げ出そうとしているものは実は最終的には存在せず、あなたが
そこに向かって走っているものはすでに、そして常に、ここにあるということに気付くでしょう。





★★★
ーーーーーーーーーーーーーーーー
P.198  逃避のダンス

あなたには、あなたの魂の深い深い嘆きを、脚色することも否定することもなくそのまま曝け
出し、その渇望とは、あなたの存在の核心から純粋かつ絶対的に生まれ出るものを映し出した
ものである、と気づくことが可能です。


感情を大げさに表現しろと言っているのではありません。感情過多というのは一般的に、最も
感情を避ける行為です。それは、深い苦悩と本当に向き合う代わりに、そのまわりでダンスを
踊っているようなものです。お涙ちょうだいの物語を自分に語って聞かせろと言っているので
もありません。それもまた逃げ道に過ぎません。痛みの上から幸せな顔を貼りつけろと言って
いるのでもありません。この痛みには神聖な目的があるのです。あなたがそれと対峙するなら
ば、この神聖なる痛みは、あなたの真実の姿との完全な合致をいつでも見いだすことのできる
今この瞬間に、あなたの注意を引き戻してくれます。


この体験の中に、喪失感、苦しみ、深い嘆きを認めることが非常に重要です。そしてこの喪失
感が、その空虚感を埋めるためのさまざまな行動、気晴らし、依存症、あるいは品物によって
どうやって覆い隠されるのかを知ることが重要なのです。こうしたさまざまな行動は実はすべ
て、最終的な喪失と認識されるもの、つまり死を避けるためのものです。私たちは、垣間見た、
永久に生き続けるものから、死が私たちを永遠に隔てるのを恐れているのです。


生まれ出るものはすべて、いずれ死にます。それは、正真正銘の、情け容赦のない事実です。
そしてそれはまた、神聖な真理であり、永久不滅のものへの入口でもあります。理性の活動は、
その真実から逃れ、死を避けようとするためのものです。これは、肉体を死から守るための、
理性の自然な一面です。それはすべての生き物にとって自然なことであり、本能が野放しにさ
れない限りは問題ではありません。あなたが本能ときちんと向き合わずにいるとき、それは、
未知のものがもたらすすべての意義深い経験にあなたが出会えないようにする力を持っていま
す。本能は、あなたがあなた自身と、そして人生そのものと深く知り合うのを邪魔し、あなた
の人生経験を表面的なものに限定する力を持ち、一方で理性は、深いところにあるものに対す
る恐れによって逃避のダンスを踊り続けるのです。


それは、苦悩、悲嘆、そして狂気的な不条理を孕んだダンスです。もしあなたが少しでもこの
ダンスに疲れたと感じているならば、それはよい兆候です。止まることなく踊り続けたい、と
思っている限り、あなたは立ち止まって休息することはできません。立ち止まって休息すると
いうのは、振り返って、それまでダンスを踊ることで避けて通ってきたことと、つまり、あな
た自身の、目を覚ました無垢な心に背を向ける悲しみと向き合う、という意味です。






ーーーーーーーーーーーーーーーー
P.204  愛にその身を委ねる

自分の人生を振り返って、自分が完全に、そして永続的に本当の自分でいることを阻んでいる
ものは何なのかに気づいてごらんなさい。本当の自分でありたいけれど、それはあくまでも自分
の望むように、自分の条件に従った形で……と考えているのではありませんか? そして、
こういうふうに感じるのは嫌、こういうものは見たくない、より深い真実は知りたくない、と
思ってはいませんか?

意識して苦しみを味わうという体験への入口として、また、無防備さ、真の無邪気さを受け入れ
る方法として、「私はどんな苦しみを体験するのを拒んでいるだろうか?」と自分に尋ねてごら
んなさい。霊的に「正しい」答えを見つけようとしたり、自分に嘘をついたりせずに、純粋に、
こうした問いが露にするものを受け入れるのです。その目的は、傷を治したり変化させようとい
うことではなく、ただ何が真実かを見つけることにあります。

傷つくのを防ぐために使っているエネルギーを感じることができるでしょうか?自分がどうやっ
て、どんな思考習慣を使って傷つくのを防ごうとしているかを検証してごらんなさい。繰り返し
起こっているパターンを進んで見つけ、傷つくのを防ぐ代わりにあなたが支払っている代償、つ
まりそのためにあなたがどれほど時間とエネルギーを費やしているかを感じてごらんなさい。
今、この瞬間、あなたがそれら全部に心を開き、何も防ごうとせず、すべてを喜んで受け入れた
ら、何が起きるでしょうか?


あなたには、傷つくことから身を守るための思考よりも、愛を信頼することができますか?あな
たにその用意があれば、自覚した無邪気さと愛に充ちた人生を送る可能性を得ることができるで
しょう。それは誰にでも可能なのです。愛は教師です。愛を支配しようとするのではなく、愛に
その身を委ねるとき、愛はあなたが誰であるかを教えてくれます。






ーーーーーーーーーーーーーーーー
P.208  愛に身を委ねる

この先、あなたが死ぬ瞬間までの一瞬一瞬、世界中のあらゆるものにあなたの心を傷つけてもら
いなさい。そうすればあなたはこの人生を愛の奉仕に生きることができます。虐待的な人間関係
の中に留まれと言っているのではありません。あなたにとっていつでも変わらず真実なもの、つ
まり愛に対してさえ忠実であればよい、と言っているのです。それ以外のものはすべて物語にす
ぎません。その物語に疑問を持たない限り、あなたは物語が現実だと信じ、あなたの心を、魂を、
愛を護らなければならないという前提のもとに人生を生きていくことになります。けれどその前
提は実はあなたの心、魂、愛を否定していることにほかならないのです。それは自分を愛する事
の否定です。

★★
何よりの朗報は、愛は自由であること、そして今でもここにある、ということです。あなたが愛
から身を隠していた長い長い年月にもかかわらず、愛は今もここにあり、今もあなたを歓迎し、
あなたが愛にその身を捧げるのを待っています。「そう、私は愛の真実にこの命を捧げます。よ
いこと、悪いこと、豊かさ、貧しさ、たとえ何があろうとも、愛がその望むままにこの命を使い
ますように」―――あなたがそう言うのを待っているのです。



あなたという個人の意識を、意識の源に飛び込ませてごらんなさい。そこでは、愛に身を委ねる
ことに抵抗するあらゆる理由や正当化は、単なる物語、でっちあげにすぎず、あなたにはいとも
容易くそれを手放すことができる、ということがわかります。すべての物語や言い訳をありのま
まの姿で見て下さい。その一つでもキープする価値がありますか? そのためにあなたの人生は
どんな代償を払うのでしょうか?

あなたがあらゆるところに探し求める愛、それはもうあなたの中に存在しています。それを呼び
覚ます人や出来事はいろいろあることでしょう。山や夕日がこの愛を喚起することもあるかもし
れません。けれども、最終的にあなたは、あなた自身がこの愛であることに気づかなくてはなり
ません。すべての愛の源は、あなたの中にあるのです。







ーーーーーーーーーーーーーーーー
P.256  死ぬ覚悟

徹底的に死ぬ覚悟ができなければ、徹底的に生きる事はできません。そして、死の恐怖と徹底的
に向き合う覚悟がない限り、徹底的に死ぬことはできません。あなたが本当に死の恐怖と向き合
えるなら、あなたは心安らかです。決して死なないものの存在に気付くからです。輪廻転生のこ
とを言っているのではありません。なぜなら、生まれ変わるという希望は、まだ死の恐怖に根ざ
しているからです。


あらゆる真の自己探求の中心であり、核心であるこの問いを、自分に投げかけてごらんなさい。





 肉体が死ぬときに死ぬものは何ですか? 




 そのとき死ぬのは誰ですか?
 



 この質問をしているのは誰ですか?





自分の内面の奥へと探究を進めてください。もっと、もっと、よく見てください。



死を近寄らせないために必要なエネルギー、注意、努力を体験してください。自分が何者でもな
い、もう存在しない、ということに対する恐れに気づいてますか? たった今、あなたの意識を
その恐れの中心へと沈めてください。 この瞬間、誰でもなくなってください。すべては終わり
ました。全部終わりです。何が残っていますか? すべてのものがなくなったとき、何が残りま
すか? 


あなたは誰ですか?







ーーーーーーーーーーーーーーーー
P.270  あなたは永遠に自由です

今、この瞬間、あなたは永遠に自由です。あなたが、自分とはこういう人間だと想像するもの、
それはすべて、この自由の中で生まれ、存在し、そして再びこの自由の中に消えていくのです。
けれども、自由はどこへも行はしません。 それは、あなたが生まれたときに突然現れたのでも
なく、あなたが死んでもなくなりはしません。自由こそ生の真実です。 あなたはすなわち自由
なのです。

自由とは、あなたが自分に名づけた名前ではありません―――あなたの名前は現れ、そして消えます。

自由とは、あなたが想像する自分ではありません―――それは時とともに変化します。

自由とは、自分が自分を誰であると感じるか、ということとも違います―――その感覚はやって来ては
消えていくのです。

自由は常にここにあり、そして終わりはありません。 自由とは意識の本質であり、そして意識は、
個々の認識の源です。



自由とあなたと隔てる境界が残ってないかを調べるには、こんな質問を自分にしてみるといいで
しょう。



誰があるいは何が私に、自由ではない、と言うのだろうか?




繰り返しますが、正しい答えも間違った答えもありません。答えの中には、些細で、馬鹿げてい
て、平凡なものもあるでしょうし、きわめて重大なものもあるでしょう。それはどうでもいいの
です。ただ答えが無意識の中から浮かぶに任せましょう。 目的は、理性に刷り込まれた思い込
みを露にし、それがどれだけ現実に即しているか、あるいは即していないかを発見することです。










                                                                                    • -