獣のこと

先週月曜からずっと、眠れない程肩に痛みがあり、そのエネルギーの影響でか、
自分の中では終了してたと思ってたアカンKの人の思い出が出てきて、ずっと
それと格闘(?)してました。。

思いっきり自分の怒りの感情をぶちまけるKの人が昔いて、どう考えても
不条理な出来事だったので、ずっと心に残っていたみたいです。

どれ程あるのか、という程浄化しても浄化しても終らないし、肩の痛みが連動して
ずっと苦しんでしまいました‥。

色々と気付きはあったのですが、途中経過だったので書くことも出来なかったのですが、
やっと一区切りっぽい感じになったようです。


前回の記事
http://d.hatena.ne.jp/arahata-kasu/20141106/p1


の気付きが確信に変わった感じです。

この記事を書いた2〜3日後、このG、K、C、チミ について考えて苦しんでたら、



「獣に愛なんか求めたって、しょうがないんだよ」



と聞こえて(何か聞こえましてん)


「 ホンマや・・!! 」


と思いました。



この G、K、C、チミ である間は、求めるエネルギーだから、
愛の与えるエネルギーとは真逆でした。

いくら表面でどう取り繕っても、動機になってるエネルギーがこれだと、
やっぱり愛ではない、と分かってしまいました。



https://twitter.com/amibot/status/543408505579773952




このKの世界を成り立たせてるのは、自己否定の恐れのエネルギーだったと
思いました。KがKであるのは、自分を愛せていないし、自分を愛せていないから、
自分より弱いものや、価値がないと判断したものに対してあれほどの暴力を振るえる。

愛するというのは、生存本能としての自己愛とは別の、
愛されてる実感、無条件の愛、神からの愛、無償の愛、のことです。

これがなければ、やはり人はG、K、C、チミ の方に片寄るみたいです。


KがKなのは、そもそも自分が受けて来た体験がゴミで、自分の信じてるものがゴミでしかない、
という事に気付いてないので、ゴミを自分だと信じてるという事かな、と思います。
(私がそうだったので・・)


愛か愛でないか、は本当の「 愛 」を知る事でしか見分ける事が出来ないです。



愛に条件はなかった、です。



愛が存在の中心にあって、その次に自分の中身(コントロール出来ない感情、嘘を信じてたら地獄‥)
その次に表層の部分(人に見せている、コントロールしている部分) 
が、あるのかな、と思います。

中心だけは愛、神の領域なので変えようもないので、人が完璧にエネルギーを出せるとしたらこの
愛、神と同じになるしかないのかな、と思いました。

感情のゴミに気付いたら、「神(愛)と繋がる」と宣言して、愛自体を見るようにするといいみたいです。



ゴミの量が多かったら、どうしてもとっちらかって混乱するので、やはり浄化(右のリンク「溶かし方を‥」
の44分くらいからです)をするのがてっとり早いと思いました。


あまりにもKの人のKっぷりが異常な程で、とても辛い記憶になってたのですが、

一句出来ました。



「エゴ体験、悲しいけれど 全部ゴミ」



そして、



「バカが作った地獄に、価値なんてなかった。」






という事かな〜、と思います。










                                                                                    • -